日月神示−読み解き・解説

【日月神示】
読み解き・解説

[日月神示 補巻 月光の巻 第15帖]

与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。

喜捨、与えたものが返ってくる。とはいえ、出し過ぎると依存や傲慢、生きる力を奪うことにもなり、その悪因は自らが背負うこととなる。

[五十黙示録 第5巻 極め之巻 第12帖]

口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。

言うだけなら誰でも出来る。

その場凌ぎの誤魔化しに終始するは悪魔の仕組。思いを行動に繋げないから変われない。

自分と誠実に向き合い、悔い改める気持ちが無いからそうなる。

悪い癖は本気でなければ治らない。

ただ祈るのではなく、自身を進化させて行くのが誠の神事である。

[日月神示 第1巻 扶桑の巻 第15帖]

今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。

目覚める者、堕ちていく者、二極化が激しく起き、人々が争い始める。
過保護に育った者たちよ、もう甘えの時期は終わっている。
自立し、地に足をつけて生きなければならない。
幻想から抜け出し、地と共に生きる事がその周囲にも良い影響を齎す事となる。

[日月神示 補巻 月光の巻 第59帖]

一度申したこと何処迄もつらぬくそなた結構ぞ。なれども囚われているぞ。この神はちと大きな、今迄にない大変をいたすのであるから、あまり小さく囚われていると判らんことになってくるぞ。固まるときには一度に固まらねばならん。

一度吐いた言葉を全うすることは素晴らしい。しかしそれは過去に囚われている事でもある。

今は神が前例の無い変化を起こす時。
小さな拘りに縛られていると流れを読めなくなってくる。

大きな時代の流れに沿い、正しく信念を固めねばならない。

[日月神示 補巻 月光の巻 第57帖]

そなたはすぐ金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀さうだからなどと申してゐるが、どんな仕事でも、その仕事にとけ込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そなたは目の先の慾にとらわれ、慾になり切って、目の色を変えて御座るぞ。それでは仕事にならん

貴方はすぐに、金にならない仕事では食っていけないのでやらない。

自分は良いけど妻子の為に条件の良い仕事を探すと言うが、

どんな仕事も真剣に、のめり込んでやらねば身に付かない。

欲に囚われ金稼ぎに勤しんでいる。

それは仕事ではなく食う為の手段、役に立つ人財には決してなれない。

[日月神示 補巻 月光の巻 第57帖]

そなたは失業したから仕事を与えてくれと申してゐるが、仕事がなくなってはおらんぞ。いくらでもあるでないか。何故に手を出さんのぢゃ。

職を失ったから与えて欲しいと言うが、
仕事はいくらでもある。

選り好みせずに雇ってくれる所へ行きなさい。

[日月神示 補巻 月光の巻 第56帖]

赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな。そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。お尻を出すものがあっても、決して怒ってはならん。子のお尻と思って きれいにふいてやれよと申してあろうが。お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけのわけがあるからぞ。

未熟な者の失敗を背負ってあげることもあるだろう。

貴方が大人だからこそ出来ること。

責任を押し付けられることがあっても決して怒らない。

我が子同様に面倒みてあげなさい。

貴方にはそうする必要があるのだから。

[日月神示 第27巻 春の巻 第32帖]

信仰の始めは感情に支配されがちぢゃ。理智を強く働かせねばならんぞ。人間は絶えずけがれてくる。けがれは清めることによって、あらたまる。厄祓ひせよ。福祓ひせよ。想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。

信仰を深めるには感情や本能に支配されず、理に沿った思考、判断が必要。
人間は常に穢れる生き物故、浄化し続けねばならない。
想念は永遠、悪の心は霊があの世へ行ってもこの世に残り影響を与え続ける。
悪意も利欲も早めに祓いなさい。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第10帖]

外の喜びはその喜びによって悪をまし、内の喜びはその喜びによって善をますなれど、マコトの喜びは外内と一つになり、二つになり、三つになった喜びとならねば、弥栄ないぞ。

物理の喜びは欲望を増し、
心の喜びは情愛を増すけれど、
真の喜びは物心共に満たされ、他者とも共有し、全体とも共鳴すること。
全体(神)との一体感無くして真の繁栄は無い。

[日月神示 第30巻 冬の巻 第1帖]

自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。

人間の霊は全て繋がっている。
天地の繋がり、横の繋がり
神と、天使と、人間と、精霊と、悪魔と、地球と。
その全てと調和する事が、最も大切な使命である。

[五十黙示録 第02巻 碧玉の巻 第8帖]

大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆 己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、

艱難時代に入ったら皆、往生し、助かりたい一心で祈り、願うが、既に手遅れ、今更後悔、改心しても救う事は出来ない。
己の心の仕組みが現象化するからである。
今のうちに悔い改めれば救われる。
神の言葉が受け取れないのであれば、天地の理を知りなさい。
真理を学びなさい。

[五十黙示録 第4巻 龍音の巻 第12帖]

動物霊が人間の言葉を使ふことは、フに落ちないと申すものが沢山あるなれど、よく考へて見よ、例へば他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、判りたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ

動物霊も他の霊も対象とする相手の持つ言語を使い、メッセージを送ってくる。
言葉はコミュニケーションを取る道具であり、人間に近付く場合に通じるものを使うのは当たり前。
そもそも言語とは自分の思いを相手に伝わる振動で伝えるもの。

[五十黙示録 第7巻 五葉の巻 第2帖]

カヂをはなせる人民少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。

自分の考え、やり方に固執する人間が多い。
時代の流れ、全体の流れに任せることも時には必要。
大きな渦に逆らおうとすると逆に溺れてしまう。
流れに任せた方が自然と抜け出せるもの。

[日月神示 補巻 月光の巻 第40帖]

世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。

終末の世も最終段階に入ったら、エゴのみに生きる人間は錯乱し、焦るほどにどツボに嵌って行く。
他者に意識を向け、抽象度が上がると先を見通せる様にも成る。
観えたら先ずは近い人間に伝えなければいけない。

[日月神示 補巻 月光の巻 第41帖]

苦を楽しむより、楽をたのしむ心高いぞと知らしてあろう。苦しむと曲り、楽しむとのびるぞ。二月十日。

修行を生き甲斐とするよりも、娯楽に浸ることに勤しむ現代人。
負荷から逃げ、楽ばかり求めてたら堕落し、そこに意義を感じ、前向きに向き合えたら成長する。

[五十黙示録 第5巻 極めの巻 第13帖]

これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。

いくら言っても聞かない多くの民
だったら好きにやってみなさい。
振り出しに戻り、また悪意からのスタートとなるだけ。
神の一部である人間は真理から抜けることは出来ない。
エゴに生きて痛い目見るのも良い薬。
好きにやって納得したら悔い改める気にもなるだろう。

[五十黙示録 第7巻 五葉の巻 第4帖]

利子は後からでよいと申すが先に払ふこともあるぞ、先にお尻をふいてやらねばならんこともあるぞ。世が迫って岩戸があいたのであるから、先にお尻をふく事も出てくるぞ、思わぬお尻もち込まれることもあるなれど、怒ってはならん、気持よくふいてやれよ、やがては神がそなたのお尻をふいて下さるぞよ。

他者のケツを持つ。
想定外のケツを持ち込む者も出て来るが、怒らず持ってやりなさい。
それをやり続けた人間には必ず神がケツを持ってくれる。

[日月神示 第30巻 冬の巻 第1帖]

死んでも物質界とつながりなくならん。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。

霊界と物質界は常に繋がり作用し合っていることを理解しなさい。あなた方は神や先祖を祀る際にも物理的な恩恵を願っている。それは未熟な行為である。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第9帖]

人民界のことをよく知ってゐる霊は、人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでゐた動物霊か、人民に憑依してゐた霊であるぞ。特別な使命をもつ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、

人間界の事をよく知る霊は死んで間もない人間の霊か、この世に長く居た動物霊か、憑依していた悪霊である。
特別な使命を持つ天使以外で人間の霊以外で憑依する者は、

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第9帖]

霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないからである。

霊界では、その殆どが抽象度により存在する次元を違う。
その次元が全てと認識している。
横軸には見当ついても縦軸になると理解し難くなる。
感覚が違い共鳴共感出来ないからである。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第8帖]

竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。

竜にも神界の者と悪魔界の者が居る。
神側と決めつけ勘違いしない様に。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第7帖]

仙人と申すものは如何に高度なものであっても、それは幽界に属す、仙人界には戒律があるからぞ、神界には戒律なし、戒律ある宗教は亡びる、マコトの宗教には戒律はないぞ。しかし神界にも仙人的存在はあるぞ。

聖人も如何に高いレベルにあっても悪魔界に属す。
戒律の在るものは悪魔界のもの。

神の世界に戒律は無い。
自由意思による善の衝動のみ。

戒律のある宗教は失くなる。
真の信仰には戒律など存在しない。

しかし、神界にも戒律的要素は存在する。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第6帖]

初歩のサニワの誤り易いところであり、又霊眼するものの誤り易いところ、注意しなければならん、例へば霊光の如きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。

間違い易いところが、高いレベルの悪魔は高級霊と変わらぬ智慧と光を持っている。
霊視、霊聴する人間でも誤りやすく、区別することは難しい。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第6帖]

霊的良識は、神示や神典類によって、又体験によって養はれ、又高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のものともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷いぞ。

霊的な良心や正しい知識は啓示や経典古文書、体験により養われる。
高いレベルの化学書も(参考)となる。
化学もバカにしてはいけない。
悪魔も高いレベルになると高級霊と区別出来ないくらい智慧を持つので区別が難しい。
注 科学は悪魔が与えた事を告げている。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第5帖]

有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。

人間の想いが悪魔界を創り出し、それが人間界に作用しているから気をつけよう。
今の人間は99%悪魔界と繋がっている。自己の悪意をよく観なさい。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第5帖]

迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。

迷信であっても信じる人が多くなれば、その想いは現実化する。(プラセボ)
強力な悪魔達を生み出し、それが人間界に返り作用するので気をつけよう。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第5帖]

高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。

やたら支配的になったり、神を名乗ったりするものは須く低級な霊である。
例え神からの言葉を伝えたとしても、よく観なければいけない。
(悪魔は9割の真実を伝える)

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第4帖]

高い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民の頭で判るように申してゐるのであるぞ。幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。

高い抽象レベルで言えば善も悪も無いが、人間に理解し易く伝えている。
悪魔界は本当は無いが、人間の想いがそれを創り出した。

高い抽象レベルで言えば善も悪も無いが、人間に理解し易く伝えている。
悪魔界は本当は無いが、人間の想いがそれを創り出した。
[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第4帖]

〇(霊)界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊人とが居る、陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。

霊的世界は神界と悪魔界に大きく分けられ、神界も神の領域と天使の領域を分けている。
悪魔界にも悪の霊と善の霊が存在する。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第3帖]

特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

特別な使命を持つ天使は、悪魔界に降りて来て人間を導くこともある。
また、天使の霊が人間として受肉することもある。
終末の世にはそういう人間が沢山生まれている。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第3帖]

高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。

高いレベルの情報は、その人間の意識レベルによって、波長の合う霊からの共振共鳴により伝達される。
特別な使命を持つ天使は悪魔界にも入り込み、人間に教えを解くこともある。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第3帖]

高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ

高レベルの霊がいきなり人間にメッセージを降ろすことはなく、上から下へと段階を経て伝わって行く。
低レベルの霊は、より人間に近い次元に居り、強く関わる、繋がることが出来るので共鳴し易く、如何にも神の如く感じるものである。

[五十黙示録 第4巻 龍音之巻 第3帖]

サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん

霊の観方
世の中を、自分をよく観なければならない。天からのメッセージは高度になるほどに抽象度も上がり、読み解きが必要となる。やたらはっきり聞こえるものは低レベルの悪霊の類 神も宇宙の法則通りに上から下へ降ろしている。
つづく

[日月神示 第27巻 春の巻 第29帖]

一応は世界一家のカタ出来るのぢゃ。が、それではならん。それを越えて、ねり直してマコトの一家となるのぢゃ。天が上で地が下で、中に あるのぢゃ。それがミロクの世ぢゃ。気長にやれと申してあろう。長い苦心なければ よいもの出来ん。

一度、世界統一政府という型が出来るがそれは偽の和平でしかない。天界と悪魔界も繋いだ上で中庸を得る。それを弥勒の世と云う。長い産みの苦しみの末に良い世界は出来る。

[日月神示 第27巻 春の巻 第15帖]

思ふようにならんのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからぞ。今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ。神示よめよ。秘文(ヒフミ)世界にうつせよ。早ううつせよ。早ううつせよ。人間の智のみでは世界はよくならん。裏側だけ清めても総体は清まらん。

上手く行かないのは霊界からの導きを受け取らず、人民が進化の流れに乗れてないから。世界の混沌も同様に、国体が本来の役割を果たせてないから。導きを受け取り霊的な生き方に早く切り替えなさい。
早くしなさい。人間の知識だけでは無理、智慧を授かりなさい。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第23帖]

神が主であり人民が従であると申してあろう。これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ。結果あって原因あるのでないぞ。今の人民、結構すぎて天地の御恩と申すこと忘れてゐるぞ。

お陰様の意識がなくなっている。
豊かになり過ぎ感謝の気持ちが持てなくなった人間達。霊性を潰し、物理優先する仕組みが世の乱れを作り出した。霊的な因果が物理に作用するのが理。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第22帖]

神にとけ入れと申してあろう。次元が違うから、戒律出来るから、判らんのぢゃ。解け入れよ。何につけても大いくさ。人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう。ビックリぢゃ。

神の領域と融合しなさい。違う次元との融合は型に嵌っていたら出来ない。破壊衝動は他者に向けるものではない。自身の枠を破壊する為に使いなさい。

[日月神示 補巻 月光の巻 第47帖]

ミタマ磨きさえすれば何ごともハッキリとうつりて、楽に行ける道がちゃんとつくってあるのぢゃ。その人その人に応じて如何ようにでも展け行くぞ。犬猫でさえ楽々と栄えてゐるでないか。洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ。二月十八日。

魂磨けば全てにおいて見通しが立つ仕組みとなっている。各個人の成り立ちに合わせてどの様にでも発展して行く。
動物達は純粋故に妨げるものが無い。きっちり邪気を祓えばどんな御神徳でも与えられる。

[日月神示 補巻 月光の巻 第41帖]

そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでゐるが、考へ方にも幾通りも御座るぞ。考へは迷ひと申してあるのは、そなたのような場合ぞ。そなたは苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんで御座るが、苦は曲ることぞと知らしてあろうが。苦をつくり出してはならんぞ。

苦しむことが修行ではない。自らの仕組みが快楽としての苦を創り出している。
自虐に酔っていてはいけない。本来の苦しみの理由は、間違いに気付き生き方を変える為。

[日月神示 補巻 月光の巻 第40帖]

遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。

緩むときも必要。
神の衝動を持ち、時代背景と動くタイミングを掴めてさえいれば、欲を満たしても邪念を出しても問題無い。
オン、オフを使い熟すこと。

[日月神示 補巻 月光の巻 第42帖]

未来にもえることが現在に生きることであるぞ。そなたは現在に生きる努力が足らん。夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ。そなたは先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。先祖はそなたではないか。地下にあるそなたの根が先祖でないか。根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ。

神主導の世界へ想いを馳せ、そこへの到達を目的とするのが今を生きると云うこと。皆今を蔑ろにし怠け過ぎている。
物理の快楽ばかりを求めていても、物理とは空であり、幻想であり、後に何も残せない代物。先祖とは家系でなく自らの魂 魂は神から生じたもの。神なくして人は存在せず。

[日月神示 補巻 月光の巻 第30帖]

この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。

腐り切った世界で、過去の正しいだけの教えは何も通用しない。邪気は失くすのではなく浄化する。神の領域へと昇華させる。自分の中の悪魔は祓わず共存して行く。それが神の望む悪魔祓い。

[日月神示 補巻 月光の巻 第23帖]

病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。

物理欲求のみを神に祈るのではない。自己の霊的成長を一番に願うこと。先ずは己の邪気を昇華させよ。

[五十黙示録 第1巻 扶桑の巻 第3帖]

子が親となるぞ、さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのであるぞ、うれしい、こわい世界が近づいて来ているのであるぞ。

信念、仕組みが現実化する霊的世界。その理が物理世界へも浸透して来ている。心の状態がそのまま現実を創る為、正しい者には嬉しく、悪しき者には恐ろしい世界となって行く。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第16帖]

統一と云ふことは赤とか白とか一色にすることではないぞ。赤もあれば黄もあり青もあるぞ。それぞれのものは皆それぞれであって一点のゝでくくる所に統一あるぞ。くくると申してしばるのでないぞ。

統一とは皆を同じ人間にすることではない。それぞれの特性を活かしつつ、神の衝動を軸に結ばれること。自由意志による括りであり、縛り付けて支配することではない。

[日月神示 第27巻 春の巻 第30帖]

理(リ)に向ってゐると、いつの間にか神の気いただくぞ。神の光がいただけるのぢゃ。二度三度、話きいたり、おろがんだりくらいで理は判らん。神は解らん。体験せねばならん。一方的では何事も成就せん。もちつもたれつであると申してあろう。

真理を追求し正しく生きていれば、いつか時期が来て神の氣を頂くことができる。数回話を聞いただけでは真理は理解出来ない。神を知ることは出来ない。実践し、体験の中から見つけて行くものである。真理を知り、御心に沿った生き方をすることが貢献となる。貰うだけでは何も成し遂げられない。

[日月神示 第27巻 春の巻 第57帖]

まことの人程おかげおそい、おそい程 大きおかげあるぞ。同じ筋のミタマ沢山にあるのぢゃ。類魂と人民申してゐるもの。いくら因縁あっても曇りひどいと、その類魂の中から次々に代りのミタマ使ふ仕組。兎や角申さずに素直について御座れ。

正しい者ほど祝福は遅くなり、遅くなるほど大きなものとなる。同じ使命を持って生まれた魂は沢山あり、その役割を全うするには日々浄化に努めねばならない。穢れが酷いと他のものに取って代わられる仕組み。素直に、神の御心のままに生きることである。

[日月神示 第27巻 春の巻 第50帖]

その人によってふさわしい行がある。誰でも同じでない。一合食べる人もあれば一升食べる人もあるぞ。身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん。いらん苦労はいらんと申してあろう。風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人 少ないぞ。より高い聖所へ参りて魂のアカ落せよ。

人にはそれぞれ決めて来た修行がある。違う方向で頑張っても何も身に付かない。自分の使命に沿わない修行は無駄でしかない。各々の目的に沿ったかたちで魂の浄化に努めること。

[日月神示 第27巻 春の巻 第57帖]

後にも先にもない、みせしめ出てくるぞ。めぐりひどい所ほど、ひどい見せしめ。神がまこと心見抜いたら どんな手柄でも致さすぞ。自分でびっくり。まことの人程おかげおそい、おそい程 大きおかげあるぞ。同じ筋のミタマ沢山にあるのぢゃ。

見せしめが始まる。環境の酷い所ほど酷い見せしめとなる。正しい心を持つ者にはどんな役割や現象も起こさせる。正しい者ほど祝福は遅く、遅いほど自分が驚くほどの大きな祝福となる。

[日月神示 第27巻 春の巻 第46帖]

その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん。

悪魔の力を神の力として使う。その仕組みを持つ人間には神が力を与え、現象を起こせる。悪魔の力を天の仕事に使い、昇華させなければならない。

[日月神示 第27巻 春の巻 第9帖]

人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ。反省あるから進展するのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ。省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。

現代の人間には良心や罪悪感が与えられている。反省し、改善するからこそ向上が出来る。これから、必要な人間は栄え、役立たずは消えて行く世界となる。努力してより良い方向へ向かいなさい。何もしない者は、今よりも低い悪魔領域へ堕ちて行く。

[日月神示 第28巻 夏の巻 第7帖]

神も人間も同じであると申してあろう。同じであるが違ふと申してあろう。それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ。自分の中に、自分新しく生むときは、自分と同じカタのものを生む。大神弥栄なれば、神も弥栄、神弥栄なれば人民弥栄ぞ。

神も人間も、悪魔も型は同じ。
父(エロヒム)が子を生み、子(イエス)が人間を創造した。
この世はフラクタル構造。
人間を徹底的に知ることで、その先に在る神と悪魔を知る事が出来る。

[日月神示 第28巻 夏の巻 第9帖]

ウムと申すことは、自分をよりよく生長さすこと。一つ生めば自分は一段と上に昇る。この道理わかるであろうがな。産むことによって、自分が平面から立体になるのであるぞ。毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。

縦軸が霊的な成長
より、遠い関係性の他者を慈しめる様になる。
より、真理への理解を深める。
より、観る(認知)力を高める。
物理的成長(スキルアップ)の横軸に心の充実縦軸が加わり立体的な成長となる。
生むとは高い抽象レベルの自分と成ること。

[日月神示 第28巻 夏の巻 第5帖]

なりなると申してあろうが。なると申すのは内分は同じであるが、形の変ることであるぞ。ウムとナルとは同じであって同じでないぞ。

成る
新しい何かが生まれるのではなく、今在るものが別次元の存在へ移行するということ。変容、成長する時

[日月神示 第29巻 秋の巻 第13帖]

人民、うそが上手になったから中々油断ならんぞ。下々の神さまも、うそ上手になったなぁ。善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ。そのまま霊人の悪でないぞ。心して呉れ。

人間の考える、語る、善悪は、霊的世界でのそれとは違う。狡猾な悪魔の影響を強く求め、受け入れた人間は自分を偽ることを得意とする存在となった。成長するなら認知を正確にしなければなりませんよ。

[日月神示 補巻 月光の巻 第55帖]

そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。

神との縁が深いほどに苦難を望み、行を積む。今は行の結果を、現象を起こす時。因縁のある人間故、一聞いたら十理解せねばならない。啓示が無くとも中からの衝動を起こして行きなさい。

[日月神示 補巻 月光の巻 第62帖]

心のうごきが先で、肉体がその後でうごくことも判って居ろうがな。心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな。何故に迷ふのぢゃ。

霊的作用が先、そこに無いものは物質化しない。心を変えねば何も変わらない。

[日月神示 補巻 月光の巻 第61帖]

そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現われであるぞ。

悪にも陽の部分は在る。陰陽合わせて観ることで真実が見えてくる。悪魔も全体(神)の一部分。

[日月神示 補巻 月光の巻 第55帖]

そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。

神との縁が深いほどに苦難を望み、行を積む。今は行の結果を、現象を起こす時。因縁のある人間故、一聞いたら十理解せねばならない。啓示が無くとも中からの衝動を起こして行きなさい。

[日月神示 第07巻 日の出の巻 第13帖]

日向(ひむか)と申してあろがな。真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。

神の光はまっつぅぐ受け取りなさい。

[日月神示 補巻 月光の巻 第25帖]

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。

抽象度が上がれば神を拝まずとも自然とイエス的衝動が起きてくる。それを想うことが礼拝となる。

[日月神示 補巻 月光の巻 第25帖]

食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。

先ずは自身の意識(物理的自我)と潜在意識(霊的自我)の方向性を合わせる。すると、導いている霊と繋がれる。そこと方向性が合うのなら、その先に存在する神との和解も成立する。

[日月神示 補巻 月光の巻 第25帖]

与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。

えーと…www

[五十黙示録 第02巻 碧玉の巻 第8帖]

大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆 己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、

崖から落ちながら助けを求めても間に合わない。 手前で崖の存在を知り、方向を変えなければならない。 心の仕組み通りの世界へ行くだけ。 一朝一夕には行かないよ。

[五十黙示録 第03巻 星座の巻 第8帖]

人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、

死と再生 今までの自分で生きられるほど甘い世界ではなくなった。物理的自我を破壊せよ。そして霊的自我を目覚めさせ、地球と共に再生出来る自分となれ。

[五十黙示録 第04巻 竜音の巻 第18帖]

一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか。

この世に奇跡は無い。当たり前の事しか起きない 想いと行動を変えれば現象が変わる 悪魔を祓えば原因自体が無くなるから事態は改善する 良い人になれば良い結果となる。良い人は他者の為にしか祈らない 故に想いが叶う 全て当たり前のこと 悪因引き摺りながらも良い結果を起こすのは悪魔の力やね

[五十黙示録 第05巻 極めの巻 第12帖]

神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する。昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。お互におろがめよ、おがむと総てが自分となる、おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。

神にも悪癖在り!それが悪魔の正体。悪魔を昇華させる方向で日々成長する。死ねまでやり続ける。拝むということは全ての責任を自分に持ってくること。

[五十黙示録 第05巻 極めの巻 第13帖]

これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。

いくら言っても聞かないから苦しみ続ける。人間は理から抜けることは出来ない。エゴを悔い改めねばならない。

[日月神示 補巻 月光の巻 第7帖]

区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。

平等という不公平 前向きか後ろ向きかで区別 能力、性質による区別 それぞれを分け取り組み方を変える事が良い結果に繋がる。

[日月神示 第27巻 春の巻 第57帖]

後にも先にもない、みせしめ出てくるぞ。めぐりひどい所ほど、ひどい見せしめ。神がまこと心見抜いたら どんな手柄でも致さすぞ。自分でびっくり。まことの人程おかげおそい、おそい程 大きおかげあるぞ。同じ筋のミタマ沢山にあるのぢゃ。

悪意に満ちた所ほどみせしめが起きる。場所にも個にも。真に正しい人間には神が現象を起こさせる。後になるほど大きな現象となる。

[日月神示 第27巻 春の巻 第46帖]

今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。

今の権力、支配力は悪魔の智慧により得たもの。神の力には遠く及ばす。正しい想いを練り、善意で行動していれば神が現象を起こす力を与えてくれる。悪意は善の想いにより昇華させねばならない。

[日月神示 第27巻 春の巻 第27帖]

先達の云うこと、云う通りについて行けよ。おかしい先達は始めからおかしいぞ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ。信念越えて自分より上のものにまかせきったのが理解であるぞ。信念だけでは何事も出来ん。確信は理解からぞ。

信念だけでは何事も成せない。そこに囚われず、先達の智慧をまっつぅぐ受け取ることで正解に辿り着ける。

[日月神示 第27巻 春の巻 第27帖]

八合目あたりに参ると総ての様子が、ほぼ見当つくぞ。それ迄は誰でもよくわからんもんぢゃ。これと云う先達があったら、先達の云うこと、云う通りについて行けよ。おかしい先達は始めからおかしいぞ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ。

行が進めば殆どの情報が観えてくる。そこに至らねば何も分からない。苦労し、身を投じ、行じて来た先達の云うことを聞くこと

[日月神示 第27巻 春の巻 第16帖]

何回でも何回でも同じことくりかえさねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。

悪因も全て自分の中にある。うまく行かないのは全て自己責任。悪魔や他人のせいにしてたら衰退しかない。ルーティン変えずに人生変わらんよ!

[日月神示 第27巻 春の巻 第13帖]

この道理よくわきまへて下されよ。真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。

真理とは神の仕組み。自分の状態が環境をつくる。悪意?善意?何を出力するか?物理(悪意)に満たされた人間が善(霊性)に向かうには努力が必要。自己の責任を認知する時ですよ!

[日月神示 第27巻 春の巻 第7帖]

理(ミチ)しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理(ミチ)ぢゃ。人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ。いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ。それを育てることぢゃ。導くことぢゃ。

自分の中に在るイエス領域が理しるべ 眠っているイエス衝動を目覚めさせなさい。

[日月神示 第28巻 夏の巻 第9帖]

信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違ひ。迷信ぞ。時間もいり手数もいる。物も金もいる。大き努力いるのであるぞ。取違ひ多いのう。

病気とはこの世の病、堕落のこと。動き回り、学び、習い、与え続けねば叶わない。身体の病は同様の行を積んだ人間なら一瞬で治すことも出来るが、元に戻らず、その状態を保つには本人の生き方を変える努力も必要。悪魔祓いと同様ね。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第27帖]

肉体あるから固まらねばならんし、常に払ひせねばならん。総てをこんなもんぢゃときめてはならんぞ。枯れることをケガレと申すのぢゃ。判りたか。神界の立替ばかりでは立替出来ん。人民界の立替なかなかぢゃナア。

生涯かけて極め続ける。霊的作用だけでなく、人間の意志により浄化を成さねばならない。

[日月神示 第29巻 秋の巻 第26帖]

人民それぞれのミタマによって役目違ふのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何も彼もマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。

人にはそれぞれ自分で決めて来た役割がある。全員がエースで4番にならんで良い。なんちゃら法則は惑わしな!w

[日月神示 第29巻 秋の巻 第1帖]

大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。

サタンの定義は宗教により作られたもの。スケープゴート 実際には陰陽あり、陰を陽として使うことが抱き参らせること。悪の要素を善に使うことが抱き参らせるの極意。

[日月神示 補巻 月光の巻 第62帖]

心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな。何故に迷ふのぢゃ。霊界が主で現界が従であること、判って下されよ。逆立してそなた自身で苦しんでゐること、早う得心して、うれしうれしで暮して下されよ。三月三日。

霊界が先、物理は後、基本中の基本

[日月神示 補巻 月光の巻 第54帖]

己が己にだまされて、己のためのみに為してゐることに気づかんのか。それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄えるぞ。善にも外道の善あるぞ。心せよ。神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。

自分を偽らずに観る。自分の為、を、他者の為に置き換える癖に気付こう。それを認識した上で三方良しを意識すること。

[日月神示 補巻 月光の巻 第27帖]

はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。

悪は祓うのではなく上手く使って昇華する。封印しても解決にはならんのよ。

[日月神示 補巻 月光の巻 第24帖]

怒ってはならん。急いではならん。怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。

これな!徒弟で話したおいらの改善点、イラちと残虐性w 悔い改め後は一切煽ってませんww

[日月神示 補巻 月光の巻 第23帖]

赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧はまけおしみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道、大大神のマコトの大道ぞ

しみったれた生活は自己責任 スピ=お花畑はメディアの洗脳 貧しい人は心が綺麗も言い訳と洗脳、実際めっさ捻くれとるのよw 正しければ富むのが当たり前キラキラ 他者を想える人間に祝福あるの当たり前ぢゃね?

[日月神示 補巻 月光の巻 第23帖]

病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。

浄化が第一。←その通り!何の為に?その気になる為に必要なのが奇跡 綺麗事は抜きにして、悪魔の策により損得でしか動けない状態にされちゃったからね。

[五十黙示録 第1巻 扶桑の巻 第2帖]

戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

戒律は要らない。正しい衝動を持てば良いだけ。

[五十黙示録 第4巻 龍音の巻 第18帖]

霊に(ひつぐ)神示をよんで聞かせて見よ、その偉大さがハッキリ判るぞ。どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない、馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ

非常識と奇跡は分けないといけないね!全く違う意味やから

[五十黙示録 第4巻 龍音の巻 第18帖]

一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか。

ここ! ここがポイントね!発信元は徒弟で話した通り。

[五十黙示録 第4巻 龍音の巻 第14帖]

よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。

言葉に魂が存在するのではなく、想い、言葉、行動、全てが一致している。その人の愛ある言葉にこそ神が宿る

[五十黙示録 第4巻 龍音の巻 第3帖]

高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ

自ら人間に近寄る精霊を悪霊といふ 上に行くほど物理から離れ精神的な存在となる為接触はなくなる。武道の帯に色着ける感覚で、段階を経て繋がるものだと知りなはれ

[五十黙示録 第5巻 極めの巻 第4帖]

善と悪とに、自分が勝手にわけて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地(智、千)の王のこと、のことがハッキリ判らねば足場がないではないか、足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。

悪魔、物理をよく知り地に足を着ける。神、霊を知り、目指す方向性を決める。上だけ見ても足元見えなきゃダメなのよね ということ

[日月神示 第27巻 春の巻 第47帖]

念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。

実にタイムリーw 今日配信したYouTubeでご確認ください!☆
「NIGHT.162 情念がサイコキネシスを生む 陶酔と散漫はルシファー領域へ」

[五十黙示録 第3巻 星座の巻 第6帖]

人民と申すものは生命(いのち)が短いから、気が短いから、仕組少しでもおくれると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替であるから少し位のおそし早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。

タイミングってあるわけよ。多少のズレも許さない100点思考も神や他者への信頼を奪う悪魔側の作戦と云えるわな。起きるものは起きるから安心くだされ♪

[日月神示 第27巻 春の巻 第31帖]

今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。現在を足場として境遇を美化し、善化してすすめ。其処にこそ神の光、よろこび現れるのぢゃ。逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う。

コレ。まさに今日(講演会で)伝えようとした内容やなw 現状は自分の仕組み通りやからね。

[日月神示 第27巻 春の巻 第32帖]

その梅に実出来て又梅が生へるのぢゃ。人間も生れかわっても死にかわっても、中々に悪いくせは直らんもんぢゃぞ。それを少しづつ直してかからねばならん。努力次第で漸次直るのぢゃぞ。宗教は霊、芸術は体ぞ。(二月一日、ひつく神)

自分の悪い癖が何か!先ずはそこを偽らずに曝け出すことから。

[日月神示 第27巻 春の巻 第33帖]

今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ。よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活 生れる。間違った求めには間違った神、間違った生活 生れるぞ。

何を求めるか? 何を目的とするか? 物理欲を超えていかないとやね。

[日月神示 第27巻 春の巻 第16帖]

何回でも何回でも同じことくりかえさねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。

悪い癖は治らない!ちゅーこっちゃね!現象は全て自分の中に在るからね!

[日月神示 第27巻 春の巻 第9帖]

人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ。反省あるから進展するのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ。省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。

本気の反省無くして変化は起きない。その機能は皆持ってるのに何故使わんのや!ってことね。

[日月神示 第27巻 春の巻 第12帖]

一升桝もってきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。大き桝もって来い。頂くには頂くだけの資格いるぞ。一歩づつ進め。一歩づつ絶えず進めよ。それより他に道はないのぢゃ。

抽象度を上げれば情報を受け取るキャパが広がる。その為には日頃の反復が大切。そう言っとりますな!

[日月神示 補巻 月光の巻 第54帖]

三千世界和平から出発せねばならんぞ。そなたは神示をよくよんでゐるが、それだけでは足らん。神示を肚に入れねばならん。つけ焼刃ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ。思ふように運ばなかったら省みよ。

つまり、教わったことを落とし込む為に、行動に変え、やり続けなければいけない。それにより現象を起こせるよ!と言っている。どっかで聴いたことある様な…w

[日月神示 補巻 月光の巻 第30帖]

この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。

ね!☆

[日月神示 補巻 月光の巻 第28帖]

厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くには〇にならねばならんぞ。

正に!よって福が祓われとる状況ね。いろいろサイン来まくっとるしね。